古代種(こだいしゅ)からの変化などを称(しょう)して、一般に「進化」と呼ぶが、個人的にはこれは適当な表現ではないと思っている。むしろ「適応」(てきおう)という言葉を当てはめた方が適切で、的(まと)を得ていると思うのだが。
もちろん、このような主張(しゅちょう)をする学者はいる。
古代に存在していた種が、現存種(げんぞんしゅ)よりいつも劣って(おとって)いるわけではないし、逆に「進化した」後世(こうせい)の種が、機能的(きのうてき)に退化(たいか)していたりするのは、普通に観察されていることだ。
ダーウィン派進化論などでは、目の進化の様子として、発展途上の例にタコの目を用いたりする。
でも、決してタコの目が人間より劣って(おとって)いるかというと、そういうわけではなく、人間の目は海では役に立たないし、それぞれの環境(かんきょう)と生き方で、最適になっているはずなのだ。
すなわち、進化というよりは、環境に適応していっているわけです。だから、どれが進んでいてどれが劣っているか、という表現は、適切ではないと思う。
まあ、この辺は素人(しろうと)の浅はかな意見だと思っておいてください。
とりあえず、このサイトでは、一般にまかり通っている「進化」という表現を用います。